創世記2:18-24、ヘブライ2:9-18、マルコ10:2-9
「なんでも自分でやりなさい」。母親はいつも私にそう言っていました。そう育てられた私は何でも自分ですること、選びとることを好んでやってきました。中学1年の時に自分から親元を離れて寮に入りたいとお願いしたときも、すんなりと許可を出してくれました。寮では同世代の子たちもいましたが、基本的には先輩、後輩を重んじる寮生活で、先輩の付き人をしながら、自分のことをする、そのような生活でした。その後、大学時代、社会人時代は一人暮らし。その生活は心地の良いものでした。しかし、自分でなんでもやるという心は、自立する上では大事なことなのですが、反対に、他者に甘えること、他者の助けを素直に求めるということができない自分に気づくようになりました。
さて、今日の聖書日課の第一日課は創世記という書物からです。
「人が独りでいるのは良くない。彼にふさわしい助け手を造ろう」
「人」と呼ばれているこの人は、ひとりぼっちでした。そこで、神はこの「人」にあらゆる野の獣、あらゆる空の鳥をお与えになりました。「人」と呼ばれているこの人は、それらの生き物に名前を付けて、ともに過ごしていたのですが、自分に相応しい「助け手」は見つけることができなかった、そう書かれています。「人」と呼ばれている人は、周りにあらゆる野の獣、空の鳥がいて、ともに過ごしていたのですが、この人を助けてくれる存在はいなかったと書かれています。そこで、神はその人を深い眠りにつかせて、その人のあばら骨の一つを取り、そこから「女」と呼ばれる人を造り上げられ、「助け手」として与えられた、そう書かれています。そして、この「女」に対して、さっきまで「人」と呼ばれていた人は「男」と呼ばれています。女と呼ばれている人は、男とよばれている人のあばら骨から造られた存在であるとして、この二人は深い繋がりのある関係であることが示されます。
この箇所は教会での聖婚式にて読まれる箇所であり、この聖書の箇所は夫婦に関するものであると理解されておりますが、もっと広がりのあるものを示しているように思います。ここは、人間同士との繋がり、そして、その人間同士との繋がりを与えてくれた神さまとの繋がりを示す箇所であると言えます。
今日の世界においては、自立、自助ということが重要で、そのために力をつけて、一人で生きる術を磨いていくことが求められます。そのような力を身につけることができない人は、努力が足りないと言われる。なので、そうならないように頑張れ、頑張れと背中を押される世の中です。しんどい気持ちを抱えていても素直にその気持ちを言えないないような状況がある。このようなことが続くと次第に心と体は疲弊し、心身ともに崩れていく。このようなことによって傷つき、疲れた人たちがたくさんいる。助けを求めること、もう無理です、ということを素直に言えない人はどんどん苦しんでいく。私自身も、何でも自分でしなければとか、甘えてはいけない、無理とは言わず頑張れと自分に言い聞かせて、自分を追い込むところがあります。何とかやってはきていますが、このままではいけない、そのように感じるような時もありました。
そのような気づきを与えてくれたのが私の周りにいる家族、友人でした。しんどいとき、一人で抱え込んで、無理をして、家族に嫌な思いをさせてしまうことがありました。自分に余裕がなくなると、カリカリして、微笑むことができない。それを見て、気を使う子もいれば、悲しそうな顔をする子もいて、それを見るごとに自分の心、人間性が崩れてしまっていることに気づくようになりました。しんどいときは、無理をしないこと、助けが必要なときは、素直に助けを求めていくこと。別にここで出来なくてもいい、そう思うようになりました。ある方は、人生で本当に大事なことは数パーセントのことで、残りの95%くらいはどうだっていいこと、そうアドバイスしてくれたことがあります。ある友人は、家族のことに目を向けるように促してくれました。これを思うとき、一番大切なのは、繋がりだ、思うようになったのです。
自分の力だけで無理してやることで、繋がりが壊れるのであれば、無理しない。自分が無理して一人でカリカリするよりも、助けを求めて、支えてもらいながらの方が実りあるものになる。人間は独りでやり続けることはできず、助けなしには本当に生きることはできないことを知るようになりました。
聖書によれば、イエスは神さまのところから私たちを助けるためにこの世にお生まれになり、私たちのために生きてくれたことを書き記していますが、イエスは同時に、わたしたち人間をイエスの助け手となるようにと声をかけられました。
イエスはいつも弟子たち、多くの人たちとともにいることを望まれ、つながり合って生きることの大切さを伝えてくれました。そして、何よりも、このような多くの助け手を与えてくれる神さまのことを伝えてくれました。
「独りでいるのはよくない」という言葉。「ふさわしい助け手を造ろう」との言葉。
賑やか過ぎる、煩いときにはひとりになりたいときがありますし、独りでいる時間も私たちには必要ですが、人生において、助け手、ともにいる人たちがなくてはならないことを今朝の箇所は伝えてくれています。
多くいる人たちとの付き合い、仕事には難しさもありますが、助け手なくしては豊かな実りを得ることはできないことを伝えてくれています。
私たち一人ひとり、自分が生きているところに、その周りに、神さまが与えてくれている助け手がいます。
苦しいとき、辛いとき、悲しい時、悩んでいる時は、一人で何とかしようと背負い込まずに、助け手を求めましょう。それは決して恥ずかしいことではありません。
「独りでいることはよくない」「ふさわしい助け手を造ろう」という神の約束を思い出しましょう。
神さまは聴き、必ず、そこに助け手が与えられるでしょう。
神の言葉に信頼して新しい1週間を生きることができますように。