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聖霊降臨後第7主日

 

マルコ 6:7-13 :イエスの宣教に倣う

 

礼拝の再開です。長い礼拝の公開中止の期間が続きましたが、その間、どのように過ごされておられましたか?

教会での交わりの時が奪われて悶々としておられた方々もいれば、家でゆっくりと過ごすことができたなど、それぞれいろんな思いで過ごされてこられたと思います。

 

礼拝の公開中止期間中、コロナによって職を失った方、大切な人を失った方がおられます。また、ここ数日の大雨で家屋が流され、また、大切な人を失った方がおられます。体調を崩されて療養されておられる方もいます。

悲しみ、痛み、不安の中にある人たちがおられます。第一にその方々のことを胸に留めておきましょう。

 

コロナによってわたしたちの日常に変化がもたらされました。コロナによって人間同士の争いが生じました。コロナを巡って人間同士の分断が生じました。コロナによってわたしたちの世界は混沌の中にあります。メディアを通して、コロナを巡って様々な人々が様々な見解を示しております。

 

わたしはそれを見聞きするたびに自分に問います。イエスだったら今のこの世界を見て、何を思い、どのように振る舞われるのだろうか?とイエスはわたしたちに対して何を求めておられるのだろうか?と。

 

今朝のマルコによる福音書にはイエスの12人の弟子たちが2人組になってあらゆるところに派遣される場面が記されていますが、イエスは弟子たちを派遣するにあたり、弟子たちに汚れた霊に対する権能が与えたと、あります。汚れた霊を癒すのはイエスの宣教の活動の一つでしたが、今や、そのイエスの宣教の業を弟子たちはイエスからその権能を受けることによって、イエスの代理として行っていきます。弟子たちはイエスから派遣され、イエスから離れますが、それはイエスからの独立を意味していません。イエスと心を一つにして旅をするということを意味します。

 

その旅路に出るにあたり、弟子たちはイエスより簡素な荷物で旅をすること、旅先で迎え入れてくれる家があればそこに留まること、そして、迎え入れてくれない家には足の埃を落とすという3つの助言をします。これはイエスの宣教の歩みに倣うものです。イエスはいつも簡素な姿で旅をし、他者からの迎え入れ、支えを必要とされました。迎え入れてくれない家に足の埃を落とすという仕草は、元々はユダヤ人が自分たちの土地以外の地から戻ってくる際に、他の土地の土埃を自分たちの地に入れないようにする象徴的行為でありました。拒否反応みたいなものが含まれていますが、イエスの宣教の歩みにおいて、イエスを拒絶する人たちも存在しており、同じように、宣教の旅には他者からの拒絶、もはや、そこで迎え入れられる術はないという場面にも遭遇するということが暗示されているのだと思います。迎え入れられるところもあれば、そうでないところもある。その中にあって弟子たちは、様々なところへ出て行き、悔い改めを宣べ伝え、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人を癒していきました。

 

今朝のイエスの弟子たちの宣教の活動からいくつかのことを学ぶことができます。

 

弟子たちは「出て行く」人たちです。すなわち、いろんなところで出会いを大切にする人です。そこでいろんなことを学びます。心から迎え入れてくれる人たちの出会い、「迎え入れ」を体験し、他者を迎え入れることの大切さを学びます。また、他者からの拒絶や拒否を通して心に痛みを感じますが、そこで拒絶されることの悲しみ、痛みを知ります。同時に、イエスが多くの人たちから迎え入れたと同時に、拒絶されたことを体験します。

 

また、弟子たちは悔い改めを宣言する人です。悔い改めは、回心とも言いますが、それは心、生き方の転換を意味します。悔い改めを宣言するとは、他者を叱りつけること、断罪することではありません。神さまの方向へと一緒に向いて、そこに共に歩むことへと招くことです。自分本位な生き方から、他者へ、そして、神さまへと向かって生きるようにと呼びかけることです。

 

そして、弟子たちは癒し人です。病んでいる人、苦しんでいる人を癒す人です。病んでいる人は医者だけではありません。どんなに知識や技術を持っている医者でも、心のない医者は人を癒すことはできません。私の身近な人でも、心ない医師の言葉、態度によって傷つき、悲しんでいる人がいます。どんなに医療が発展しても、心がなければ患者の心と体は癒されません。弟子たちは心ある人でした。なぜなら、弟子たちはイエスの心が与えられていたからです。苦しみ、悲しみ、痛む人に寄り添う、共にいる、その痛み、悲しみ、苦しみ触れる、その簡素な心が人を癒すのです。

 

今、ここにいるわたしたちもイエスに招かれている者です。イエスの弟子としてキリスト者とされた人、今、そのように生きるようにと呼ばれている人です。

 

先ほど、今のこの世界を見て、イエスはわたしたちに対して、何を求めておられるのか? そのような問いを上げましたが、イエスさまはわたしたちに対して今日の福音書に出てくるイエスさまの弟子たちと同じように生きることです。

 

イエスさまの宣教はシンプルです。出て行って出会うこと、自分のところに来る人を温かく迎え入れること、自分本位な生き方から離れ、他者の痛み、悲しみ、苦しみを覚えること、そのために祈ることです。それは相手の心を動かし、また、癒しにつながります。その変化がすぐに起こらないにしても、そのきっかけを作ることになります。このことを一人ひとりがすれば、わたしたちが置かれているところは豊かになるのです。

 

まずは身近なところでこのことを実践しましょう。家族との間で、職場で、置かれている場所で、出会う人との交わりの中で。

 

イエスの弟子の宣教を実践し、イエスの宣教の実がなりますように。