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聖霊降臨後第5主日

 

マルコ 5:22-24,35b-43

 

「恐れることはない。ただ信じなさい」というイエスの言葉が今朝の主日の福音の中心的なメッセージです。

 

イエスご自身への信頼を持つようにとの招きがあります。

 

今の世の中は不信の時代です。何を信じていいのかわからないほど、たくさんの情報が溢れています。ああでもない、こうでもない、といういろんな情報が洪水のように流れ込んできます。実際に不信になってしまうような事件、事故があります。虚偽や隠蔽といったようなことが当たり前のようになっているのではないか、そう疑ってしまうような事件が後を絶ちません。信じることが難しくなっている時代です。信じることには恐れが伴う、そう言えます。これを信じて大丈夫か、騙されてはいないだろうか、また、裏切られるのではないか、そのような恐れが生じる、そんな時があります。

 

今朝のイエスの言葉―「恐れることはない。ただ信じなさい」―という宣言は、そのような恐れに駆られている人への力強い約束の言葉です。イエスの言葉はシンプルですが、わたしたちにとっては勇気のいる言葉です。わたしたち人間は、何か目に見える確証、信じるに値する何かを求めます。それを見て、得て、「信じてみます」となる。しかし、イエスの約束の宣言は、そうしたものを超えたものです。「ただ信じなさい」と。

 

盲目的な信仰を求められているようにも聞こえますが、「信じる」というものには、勇気、決断というものが伴ってくる、ということを今朝のイエスの言葉から学ぶことができます。「信じる」ことを通して、そこにこまれまでにはなかったものが生じる、与えられる、見つかる、そのような新しい気づきがある、という招きがあります。

 

わたしは「招き」という言葉を繰り返して用いていますが、それは、イエスが語る「信じる」という言葉には、わたしたち人間の側の決断、応答というものが求められているからです。

 

これまでのデータで見ればこの先は難しい、今までこのようなことが出来たことない、など、わたしたち人間は目に見えるものに左右されてしまうのですが、イエスを信じる、イエスを通して神を信じる、ということは、目に見えるものを超えたものへと、勇気と決断のうちに飛び込んでいく、立ち上がって前に1歩踏み出していくようにと、わたしたちを奮い立たせてくるものであるのです。

 

どれだけ疑っても、恐れても、時間を止めることはできず、絶えず新しい時間がわたしたちに向かってきます。イエスの言葉に信頼をおいて、イエスに飛び込んで、イエスとともに新しい先へと向かっていく、そのような心で、新しい1週間を過ごしたいものです。