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聖霊降臨後第3主日

 

マルコ 4:26-34

 

「神の国」について喩え話をされるイエスの姿を目にしています。「神の国」とは神さまが共におられるという実感に満ち溢れたところ、一人ひとりが神から愛されて、尊ばれ、大切にされるところです。その神の国を宣言し、広げていくこと、それがイエスのこの地上における使命でした。

 

イエスは喩えを話されましたが、イエスの語る喩えは、単なる喩えではありませんでした。イエスの例えは、イエスの生き方、働きを通して、現実に示されたものでした。イエス自身がその喩えを具体化されたのです。

 

今朝はイエスの「からし種」に喩えに目を向けたいと思います。からし種、見たことありますでしょうか。とっても小さい粉です。吹けば消えていくようなものです。そのような小さな、小さな、吹けば消え去ってしまうようなものを用いて、イエスは神の国について語ります。

 

その小さな、小さな種は地に蒔けば、どんどん大きくなると、イエスは言います。小さくて、目を凝らさないと見えないような小さな粒が、地に落ちれば、どんどんと大きくなり、どんな野菜よりも大きくなり、その葉の陰に鳥が住まうほどだ、そう言います。

 

イエスの喩え話は現実のものとなっています。イエスが蒔いた小さな種は、イエスが地に落ちて死ぬこと、即ち、完全に無力な人となり、自分の全てを他者に与え、十字架上で無力な姿で息を引き取った後、そこに神の力が注がれ、復活の出来事が生じます。そして、その新しいいのちのうちに復活されたイエスは弟子たちに聖霊を注ぎ、その聖霊を受けた弟子たちの輪が広がり、イエスの蒔いた種はそれに続く弟子たちによって蒔き続けられて、今や、世界中にイエスの蒔いた種を蒔く教会があります。そこにたくさんの人が招かれ、自分が神に愛されていること、大切にされていることを実感し、神と共に歩む人生を送っておられます。

 

今日、わたしたちの教会は、宣教に苦しんでいる、数が減っている、先行きが見えず不安だ、無くなってしまうかもしれない、そのような様々な不安を抱いています。

 

どうすればよいか、頭を抱えながら葛藤のうちにあります。世界は世俗化し、神さまの入る余地がない、そんな印象を抱いてしまいます。

 

だけども、がっかりする必要はない、そのことを今朝のイエスの喩え話は伝えてくれています。

 

経済的に豊かでもなく、この世界において大きな働きができていない、全く貢献できていない、そんな無力さを感じるようなことがあっても、イエスはこのことを悲観的にとらえてはおられません。

 

小さく、無力なところに神が働く。イエスはこのことを完全に小さく、無力な人になられたことを通して、示してくださいました。

 

人が減っている、お金が減っている、それは教会の危機ではありません。本当の危機は、イエスへの信頼、希望がなくなることです。イエスは希望を失っておられません。イエスは絶えず神のうちに希望を私たちに差し出してくれています。それをしっかりと受けとって希望のうちに歩んでいきたいものです。