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復活節第5主日

ヨハネ 14:15-21

 

復活日を迎えた後、わたしたちは聖霊降臨日に向かって歩んでいきます。今日においては、クリスマスやイースターは一般の方々にも知られているイベントとなっていますが、「聖霊降臨日」はこれらに比べるとあまり知られているものではありません。「聖霊」や「霊」という言葉は、目には見えないぼんやりとした印象を抱きます。どこかフワフワしたもので、はっきりとしないようなイメージを持っておられる人が少なくありません。

 

しかし、今朝の福音書でイエスは明言します。「私は父にお願いしよう。父はもうひとりの弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は真理の霊である」と。

 

イエスが語る「弁護者」とはどのような方なのか?

聖書の原語であるギリシア語では「パラクレートス」と言い、多様な意味を持っています。イエスが語っているように「弁護する」存在である他に、意見を主張する方、慰める方、癒す方、助ける方と訳されることがありますが、語源的には、「呼びかけに応えてくれる方」、という意味です。

 

「呼びかけに応えてくれる方」である弁護者は、「永遠にあなたがたと一緒にいる」。イエスはそう宣言します。イエスが話している「あなたがた」とは、イエスがこの言葉を語られた時にそばにいた弟子たちであり、また、このイエスの言葉を聴く聖書の読者、すなわち、今、ここにいる「わたしたち」のことです。

 

イエスは、今、ここに生きているわたしたち一人ひとりの「声」に応えてくれる方が、イエスを通して父なる神から与えられていることを伝えてくれているのです。

 

わたしたち一人ひとり、いろんな思いを抱いています。嬉しいこともあれば、不安なこと、悲しいこと、辛いことがたくさんあります。先行きの見えない未来に不安を抱くことがあります。今、やるべきこと、しなければならないことが目の前にあるけど、本当にそれをやり抜いていくことができるかを不安に思うことがあります。悲しい現実に直面し、どのようにしていけばいいかわからず絶望を感じることがあります。

 

そのような思いの中で、「どうすればいいのか?」、「助けて欲しい」というその叫び、叫び声をイエスが語る「弁護者」は聴いてくれるという招きがここにあります。

 

苦難、悲しみ、痛みは簡単には消え去りません。不安、問題もすぐには解決しないことがたくさんあります。しかし、その只中にある時にわたしたちが心から欲するのは、寄り添ってくれる存在、その胸の内を聴いてくれる存在です。イエスはその存在を与える、いつまでも。そう約束してくれています。

 

この弁護者である聖なる霊は、わたしたちが生きる世界の只中にあり、そして、わたしたち人間の心の中にも宿っています。

 

イエスを通して、父なる神が遣わす聖なる霊に導かれ、包まれた人が、わたしたちのまわりに、そばにいるのです。不安、悲しみのうちにある時、恐れず、大胆に弁護者である聖なる霊を呼び求めましょう。きっとその声は届き、道が開けてくるのです。