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復活節第4主日

ヨハネ 10:11-16

 

コロナ感染症は収束どころか強さを増して広がり続けています。コロナ感染症の対応を巡っては様々な見解がありますが、当教会としては緊急事態宣言発令に伴い、礼拝の公開を中止することにしました。

 

コロナ感染症対応を巡って、責任ある人々に対する「リーダーシップ」についての議論が展開されています。パフォーマンス重視で実務的な事が出来ていないという批判や、決断力がないとか、説明力や配慮が足りないとか、いろんな意見があります。

 

今朝の福音書は「良き羊飼い」がテーマとなっておりますが、羊飼いとは羊を養い、世話をする人であり、羊をあらゆる危険が守り、導くリーダーと言えます。

 

聖書においては、神さまと神さまに従う民を、羊飼いと羊との関係に喩えて語られているところがあります。教会においては、その羊飼いの務めはその司牧者である聖職に委ねられており、羊である信徒を養い、世話をして、導く務めが与えられていると理解されています。しかし、先述しましたように聖職はその務めを「委ねられている」存在でありまして、本当の羊飼い、大牧者はイエスさまです。

 

今朝の福音書では、その真の羊飼いであるイエスご自身が、真の羊飼いの務めにについて語っておられます。

 

今朝の福音書では、良い羊飼いとは別に、「自分の羊をもたない雇い人」、「羊を置き去りにして逃げる人」について語られています。これらの人は「偽の羊飼い」の姿であるとされています。その特徴は、責任を負わない、敵がくれば逃げる、という姿です。何かあれば責任転嫁をし、手柄は全て自分のものにする、自分のことしか頭にないので、危険が迫ったり、自分にマイナスになるようなことになるとすべてを投げ出して逃げるという姿です。失敗はすべて他人のせいにして、自分には落ち度がないとする。

 

これらを思い巡らすと自分の胸が痛くなります。自分の他者に対して、そのような振る舞いをしていないかと。

 

イエスが語る「良い」とはこの世的な良くできるリーダー像とは異なるものです。名声・地位を得る、利益を上げる、結果を出す、バリバリと周りを牽引していく、というというものではありません。

 

「羊」に寄り添い、「羊を」知り、「羊」に仕え、自分のすべてを差し出すリーダーです。ひとりひとりの命に心を砕き、大切にするリーダーなのです。みんなの前に立って「俺が引っ張ってやる、ついてこい」というリーダー像ではなく、みんなの後ろにいて、後ろから一人ひとりの姿を見つめ、彷徨い、困っている人はいないかと絶えず心を配るリーダーです。置き去りにするのではなく、後ろから一人ひとりを前に、即ち、神さまに向けて、導いてくれる存在、それが、イエスが語る、良き羊飼いなのです。

 

わたしたちは、この良き羊飼いイエスに支えられ、守られている存在です。先行きが見えない今、このことをあらためて想い起こして、イエスに繋がっていきたいものです。