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大斎節第1主日

創世記 98-17, 1ペトロ 3:18-22 マルコ 1:9-13

 

 「あなたはわたしの愛する子」。先週の主日のマルコ福音書にも記されていた言葉です。先週は「雲」の中から「あなたはわたしの愛する子」という声が注がれましたが、今日の主日では“天が裂けて”、「あなたはわたしの愛する子」という声が聞こえた、と記されています。

 

今朝の箇所にはイエスさまが洗礼を受けられた場面が記されていますが、イエスさまの受洗の場面と同時に、イエスさまがサタン(悪魔)から誘惑を受けられた場面も記されています。サタンとは「試みる者」という意味があります。何を試みるのか?神さまへの信頼を試みます。神さまとの繋がりが確かなものなのか?と神さまとの間にスッと入ってきて、揺さぶってくるのです。

 

イエスさまはサタンから試みられます。荒れ野という場所で誘惑を受けられたと記されておりますが、「荒れ野」とは「楽園」、「平和な場所」と対極なところです。聖書が示す「荒れ野」とはあらゆるものが枯渇しているところ、凶暴で飢えた野獣がいるところでありますが、同時に神さまとの出会いを探し求めるところであると言えます。そのようなところでイエスさまはサタンに誘惑を受けます。

 

「お前は神さまに愛されている者か?」。サタンはこのように囁きます。自分の人生、自分の家族の人生が思い通りにいっていない時、サタンは囁きます。「一所懸命に信仰生活を送っているのになかなか上手くいきませんね?それでも、信仰生活続けますか?神さまを心から信じますか?」と。神様が本当にいるなら、自分の願い事は叶えられるはず。真面目に信仰生活を送れば良いことが起こるはず。でも、今は、そうではない。それでも神さまを信じるのか?」と。

 

サタンは人生のあらゆる場面で常に試みてきます。イエスさまはそのご生涯の中で常に試みられてきました。イエスさまを慕っていた弟子たち、群衆たちは最終的にイエスさまから離れ去ります。神さまのこと伝え続けてきた人生の最終局面においてイエスさまは多くの人々に見捨てられます。しかし、イエスさまは天からの「あなたはわたしの愛する子」という言葉に信頼を置き続けました。

 

クリスチャンとは神さまと共にいる存在であると同時に、絶えずサタンから誘惑を受ける存在であります。日常生活の中で様々な試みに遭います。失敗した時、上手く行かない時、困難な時、悲しい時、悩んでいる時など、その時、その時、サタンは囁いてきます。「本当に神さまはいるの?」、「あなたは愛されている者なの?」、「その信仰生活、無駄だったんじゃないの?」と。

 

イエスさまは私たち人間が体験する様々な試みに遭われ、揺さぶられました。しかし、イエスさまはこのような試みに屈することはありませんでした。イエスさまはわたしたちが体験する試みを知っており、それに覆われ、苦しみ、悩む、わたしたちを理解してくれる方です。同時に、わたしたちがその試みに支配され、神さまから引き離され、絶望へと陥ることのないようにと助け、支えてくれる存在です。信仰が揺さぶられる時こそ、イエスさまに呼びかけましょう。

 

「誘惑に陥らせず、悪からお救いください」との祈りと共に、いつも祈り求める心を整える期間として大斎節があります。わたしたちの堅固な拠り所であるイエスさまの存在をこれまで以上に想起し、祈り求めたいものです。