「時が満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」
今朝のマルコ福音書の中でイエスさまは私たちに呼びかけます。この言葉はマルコ福音書におけるイエスさまの語る最初の言葉です。そして、この言葉はマルコ福音書におけるイエスさまの宣教活動全体を示している言葉です。神の国がもう来ていること、悔い改めて福音を信じること、このことをイエスさまはご自身の言葉と行動によって示すためにイエスさまはガリラヤから宣教の旅を開始します。「時が満ち、神の国は近づいた。」というイエスさまの言葉は、イエスさまが生きていた時代の多くの人々の心情をあらわすものです。多くの人々は待っていました。希望を持っていきることができる日を、そのような思いに満たされた生きる世界を待っていました。その時が来た、そして、神さまの支配というものが明らかにされる!イエスさまの希望の満ちた宣言がここに発せられたのです。
わたしたちの今はコロナ感染症の影響、それを巡っての議論によって先行きの見えないものとなっております。他の先進国に比べ、日本の感染者数はそこまで多くないという楽観的な見方があり、春から夏、秋にかけてと少しずつ日本全体が自粛から活動へと動き始めたところで再びコロナが力を増してきました。そして、今、昨年同様に再び立ち止まるべきだ、という意見と、どんなことがあっても前進し続けるべきという意見の狭間にわたしたちは置かれています。経済を止めることによって生きていく糧を失う方々がいます。他方、人の動きを活性化させることによってコロナウイルスの拡散が促進されることによって感染者が増え、その中で重症化して命を失う方々がいます。わたしたちの心を動揺させ、振り回すコロナの脅威の前にどうすることもできません。こうした先行きの見えない中で、人間同士は苛立ち、意見の衝突から相互に罵り合い、傷つけ合っている現実があります。
わたしたちの教会は一度立ち止まり、礼拝という集いは自粛しつつも、この世界のために祈るとことを選び取りました。昨年同様、礼拝自粛が長期間に続きますと、教会運営には大きな影響が及ぼされますが、今は立ち止まり、苦しみ、悲しみ、不安のうちにある人々のために祈ることへと向かっています。
イエスさまが宣言された「神の国」とは神様の支配される空間です。すべての人々が神さまの哀れみのうちにあることを意味します。イエスさまがこの世界に訪れた後の2000年以上の歴史の中でも争い、疫病、飢饉その他さまざまな困難がこの世界を覆いましたが、神さまへの希望が消え去ることはありませんでした。わたしたち教会に属している人たちは、神さまからのこの世界に対する希望の器として召されています。罵り合い、傷つけ合うことが無くなり、一人でも多くのいのちが救われることを覚えて、祈り続けて行けたらと願っています。