聖霊降臨後第24主日A年

聖霊降臨後第24主日 マタイ25:14-15,19-29

 

今日の喩え話には、旅に出る主人から財産を預った人々―ある人は5タラントン、ある人は2タラントン、ある人は1タラントンーが登場します。それをどのように用いたか? 旅から帰ってきた主人がチェックします。

 

5タラントン預かった人はそれを用いて他に5タラントン儲けた。また、2タラントン預かった人もそれを用いて他に2タラントン儲けた。だが、1タラントン預かった人は上手く用いることができなかった、とあります。上手く運用する自信がなかったのか、失敗するのが怖かったのか。預かったタラントンを地に隠していました。

 

「タラントン」とは何を意味するのでしょうか。

お金の単位を示すものですが、「賜物」、「才能」という意味もあります。音楽、芸術、スポーツ、学問などで力を発揮する人たちを「才能のある人」と読んだりするように。

 

しかし、「天の国」のこの喩え話において示されている「タラントン」は、天の神さまによって与えられる神さまからの贈り物―神さまの御言葉、愛情、恵み、赦し―を意味します。

 

今日の喩え話では「ある人は5タラントン、ある人は2タラントン、ある人は1タラントン」とあるように単位に違いがありますが、金額の単位はあまり意識を向ける必要はないと思います。1タラントンとは当時でもものすごい額です。十分に注がれていると考えていいと思います。

 

ポイントとなっているのは、神さまからの愛情という「贈り物」を地に隠してしまった、ということです。

 

1タラントン預かった人は主人から「怠け者の悪い僕だ」と言われておりますが、新しく翻訳された聖書協会共同訳では「臆病者の悪い僕だ」と記されています。

 

「怠け者」と「臆病者」、翻訳に大きな変化があるように思います。この語は「怠惰」という意味の方が強いように思いますが、1タラントン預かった人の心情を汲み取ったように感じます。

 

彼がお金を隠したのは、怠慢で何にもやる気が無かったというよりは、本人が言っているように主人は厳しくて怖い方と思い込み、怯んでしまったためであったからです。

 

先ほど、この喩え話で言われている「タラントン」とは神さまの愛情という「贈り物」だ、とお話しましたが、喩え話に出てくる主人、すなわち神さまは、わたしたちがそれぞれ生活しているところで、神さまからの贈り物を分け合うようにと望んでおられます。そのためにそれを与えてくれています。

 

しかし、これらのものを日々の生活の中で分け合うということに怯んでしまう気持ち、分かります。

 

これらのものをちゃんと伝わるだろうか? 理解してもらえるだろうか? 受け取ってもらえるだろうか?拒否されたらどうしよう? 自分はこれらのものを伝えるような人間なのか?このようなことを伝えるのは恥ずかしい、という気持ちを抱くこと、いろんな恐れがあって、怯んでしまう気持ち、わかります。

 

「臆病者、悪い僕よ」という言葉、厳しく響き渡ります。

 

しかし、その先があります。イエスさまによって脆さ、弱さをもった人たちの生き方が変えられていった姿を、聖書を通して見ることができるからです。

 

臆病であること、脆さがあり、弱く不安であること、全部受け止めてくれるイエスさまがいること。

ここに目を向けて行きましょう。

 

神さまからの「贈り物」を自分の身近にいる人に分け合うこと。

 

すぐには伝わらないかもしれない。上手くいかなくてもいい。それで神さまが罰することはない。

 

ちょっとでもいい、神さまからの贈り物を地に埋めるのではなく、自分が生きているところで分け合うようにと招いてくれていることを胸に新しい1週間を歩んでまいりましょう。