マタイ 9:35-10:8、(9-15)
イエスさまに呼びかけられた人の集まり
福音書の中でマタイのみが ‘教会’という言葉を用いています。
‘教会’とは建物のイメージがありますが、聖書においては‘人の集まり’を意味します。イエスさまを通して、神さまに呼びかけられた人によって、教会が存在しているのです。
どんなに立派で荘厳な教会の建物であっても、そこに人の集いがなければ虚しいものになります。
教会には様々な人が呼びかけられ、集められますが、その集まり、共にいるということを通して、一つの共同体が形成されています。イエスの弟子と呼ばれる人たちの共同体、すなわち、キリスト者の集いです。それは、洗礼を通して、その共同体に招き入れられます。教会には洗礼を受けていない人も招かれ、その集いの中にいますが、その集いでの交わり、祈り、礼拝を通して、洗礼の恵みへと導かれ、イエスの弟子へと召されていくという過程があります。
教会暦は聖霊降臨後のシーズンとなりました。祭色は緑となります。緑は成長の象徴です。今年度のこのシーズンでの福音書朗読はマタイによる福音書が拝読されますが、この福音書を読んでいく上でのひとつのテーマがあります。そのテーマとは、イエスさまに呼ばれ、イエスさまの弟子となった人たちの集まり、つまり、教会とはどのような存在なのか、何を意味するのか?というものです。
イエスさまの憐れみに浸される集まり
ある人とお話をしていた時、こう言われたことがありました。
「わたしのような人間が、教会の門をくぐり、入ることなんてできない。教会とは聖なる人との集い、というイメージがあるから・・・」わたしから見ればその方は非常に朗らかな雰囲気を持った方でしたが、その方自身の中にそのようなイメージが定着していたようでした。
これを聞いてどうでしょう?
やはり教会とはそのようなイメージを持たれているのでしょうか?しかし、反対に宗教は怖いとか、歴史を見れば宗教が争いを巻き起こしてきた、そのような批判的な声を受けることもあります。
今日の福音書には、
「イエスさまはあらゆる場所を巡り歩き、教え、福音を宣言され、あらゆる病気や患いをいやされた」とあります。
そのあとに12人の弟子たちが呼び寄せられたとありますが、これらの弟子たちもはじめはイエスさまのことをよく知らない、イエスさまによって呼びかけられた人たちでありました。一人ひとりの出会いの場面、状況は異なるにしても、イエスさまとの出会いを通して、イエスさまの言葉や振る舞いに触れ、‘いやし’を実感した人たちであります。
それぞれのうちに罪や汚れ、脆さ、弱さ、恐れ、疑いがあったと思いますが、それらをイエスさまが受け取り、それらを包み込み、いやしていただくことを通して、イエスさまと共に歩む人になってく、弟子となっていく、そのような過程があります。聖書のストーリーは淡々と書かれているところもありますが、そのイエスさまの弟子になっていく過程は、紆余曲折があったと思います。
みなさんはどのように感じられますか?
キリスト者として歩んでおられる方、その時のことを思い巡らして頂きたいと思います。
イエスさまからの‘いやし’があり、その実感に浸されていく、イエスさまの弟子となっていく過程にはこれがあります。
そして、そのいやしの源にあるのが、イエスさまからの‘あわれみ’です。イエスさまの‘あわれみ’。それは一人ひとりとしっかりの向き合い、その人のうちにあるものー罪、脆さ、恐れ、疑いーをうけとり、ともにいてくれるという‘あわれみ’です。上からの目線ではなく、同じ目線で、それをともにうけとめてくださる。
罪、脆さ、恐れ、疑いの根底にあるのは<断絶>です。自分はダメだとか、誰も自分を大事に思ってくれない、という不信感です。信頼の欠如です。それが人間を崩壊へと導く。イエスさまはそこに入ってこられ、寄り添い、そこに<つながり>をもたらしてくれるのです。ご自身と、ご自身を通して神さまと繋いてくださるのです。
イエスさまの弟子であることとは、イエスさまが共におられ、イエスさまからのいやし、あわれみをいつも必要としている人、それを大事にしている人です。このような人の集まりが教会の集まりです。
罪、脆さ、恐れ、疑いに覆われている人のために開かれた場所なのです。そこに入ってきて、あわれみを受け、いやされる場所、そのために教会の集いがあります。
<聖なる>とは、教会においては、完全無欠で非の打ちどころのない人というよりは、イエスさまからのいやし、あわれみを受け、それをいつも求める人。そして、そのイエスさまから受けたいやしを分かち合うことができる人です。
イエスさまからのいやし、あわれみなくして、教会の集いは存続できません。
門を開いて、イエスさまのいやし、あわれみへと触れる空間を与える場としての教会の集いが豊かなものとなりますように。
ともに祈りましょう。